AI、機械学習との共存が現実解かもしれない
AIや機械学習といったバズワードが飛び交うようになって久しい。
単なるブームで終わってしまうかと思いきや、ここ最近流行りのChatGPT等、人間のお株を奪うようなレベルのサービスが次々と登場し始めた。
僕たちは、ホワイトカラーの仕事は特別だと思っていたけれど、全然そんなことはなかった事実が証明されつつある。本当はやる価値のない仕事を無理矢理にでも作り出し、人数分の仕事を増やしていた現実が浮き彫りになった。
いわゆるブルシットジョブと呼ばれる類のタスクだ。
AIや機械学習の登場、発展によって、ホワイトカラーのデスクワーク業務は気づいたら置き換えられていて、いつの間にかシステムに変わっていた。
この未来がそう遠くないのかもしれない。
一定の抵抗勢力は存在するのかもしれないが、破壊的なテクノロジーの便利さは一瞬にして拡散し、皆がそれを手に取って試せるようになったことで、変化へのハードルは一気に下がってしまった。
ChatGPTでは生み出せない価値、アウトプットを継続して創出出来るかどうかは、今後のホワイトカラー、クリエイター、ライター等の将来を左右するのだろうが、正直言って大多数の人間はそのようなセンスは有していない。
ChatGPTのようなツールが、ネット上に散らばるあらゆる構造化された、あるいは非構造なデータ解析の結果であるならば、それっぽい論理的筋道の立てられた解を出すことには何の困難性も無いだろう。
となると、人間に残される価値は、情緒的、感情的、仮説立案、判断など非合理的な要素を多く含む領域でのみ発揮されると考えられる。
合理性やロジカルであることの価値はこれから地に落ちる結末が待っているのかもしれない。